食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

確信

初回の授業では、LGBTをテーマとして扱いました。参考映像もいくつか見たのですが、その中で凄まじい作品がありました。

 

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恋する10代LGBTへ、とタイトルにある通り、たしかにテーマ的にはそういった内容。作者はアーティストの井上涼さんで、他にもびじゅチューンなんかも手掛けています。制作のほとんど全てを一人でやっているらしく、なるほど独特な雰囲気。

音楽的には軽くて、なんだったらへなちょこな歌声にも思えますが、伝わってくるのは大きな大きなエネルギー。極めてアート的な表現にも関わらず、圧倒的に伝わってくる。

 

井上涼さん自身もゲイであることを公表しており、限りなく体験談に近いテーマなのかもしれません。

 

「確信」というタイトルも不思議なもので、最後の最後に「頼りない確信ひとつ」という一説が登場します。"頼りない"のに"確信"とはこれいかに。

 

 

最近だと、折坂悠太というアーティストをよく聴いています。

どういう文脈で登場した方なのか詳しくは存じ上げないのですが、これだけ日本語ど真ん中で、日本語をストレートに表現したアーティストが久しぶりな気がしたのですっかり虜になってしまいました。中でも逢引という曲がお気に入りで聞いています。日本語シャンソンのような、メロディと日本語のおさまりがとても良い感じです。

 

日本語で、音楽に真っ向から臨んでいったのははっぴいえんどの功績が大きいと言われていますが、その当時以前を思い出すように解釈すると折坂悠太みたいになるように思います。逆に、現代的に解釈するとゲスの極み乙女のようになるのかなと。

同一文脈上にいるとはなかなか語られづらいこの二者だと思いますが、僕は敢えて、折坂悠太とゲスの極み乙女は同じジャンルだと主張したいです。

 

確信という曲のエネルギーも含め、いずれにせよ日本語音楽の奥深さを改めて実感する日々です。

ウムヴェルトと引き出し

授業の一環で老人ホームに行ってきました。良い悪いではないですが、現場に触れることで、ありのままを体感するためのプログラムです。

 

タイミング良く行われていたレクリエーションに、主に参加させて頂きました。

最初に1ヶ月間のレクリエーション予定なんかも見せて頂いたんですが、すごいですねあれ。入居者の方が参加したいコンテンツを365日分考える。毎日違うことをやるわけではないにしても、50以上はレパートリーないとダメなんですよね。こりゃあ大変だ。

基本的にはスタッフ側が企画して参加を募るようですが、その辺りも入居者の方と共創していくと良さそうだなとか考えてました。

 

余談ですが、素人落語会みたいなものもあってとても気になりました。どんなネタやるんだろう。超偏見だけど薮入りとか子別れとかウケそう。

 

実際にレクリエーションの時間が始まると個室から(半強制的に)共用スペースに連れてこられ(半強制的に)レクリエーションに参加させられる入居者の方たち。正直その強引さに若干驚きつつも、風船を膨らまし風船バレーに。

その後も、続々と(半強制的に)集まる入居者の方たちでしたが、いざ一緒に参加して見るととても楽しそうなんですよね。私には出来ない、と最初は遠慮気味だった方もパスを上げてみると全然普通に楽しそうに打ち返してくれたり。これは、発見と共にとても嬉しい出来事でした。

 

続けておやつの時間。

僕は同じ話を繰り返すお父さんに捕まり、ぐるぐるとループする世界に浸ることになりました。

お父さんは84歳で川崎市にご実家がある。ポケットに入れていた、ネタ帳とも言える黒革の手帳からそんな情報を引き出して話してくれました。手帳を開くたび、そのページに書かれた文字列に反応し連想ゲームのように出てくるエピソード。人との会話の中で登場した単語から連想して話が拡散する僕も似たような感じだなと思うと、なんだか可笑しかったです。

 

ただ、少し物悲しさもあり。

繰り返されるエピソードを聞いていると、二人の息子さんのうち、長男の話しか出てこないことに気付きました。名前を聞いてみても、覚えていない、と。

父親と同じ道に進んだ、兄と自分。そして長男。ただ、次男は自分と違う道を選んだ。邪推ですが、そんな想いがあるのでしょうか。ひょっとすると、衝突があったのかもしれません。そう思って、あまり深く尋ねるのも野暮だと思いやめることにしました。

 

きっと、あのお父さんも、引き出しに入れる話を取捨選択したんだろうなと。最低限の自己紹介と、武勇伝と、自慢の息子。忘れてしまうことを危惧してか、手帳に大事に書き残した想い出。

 

自分も歳を重ね、引き出しの数を増やしそのキャパシティを増やすことにも限界があることを少しずつ感じてきています。何度もその取っ手を引き、中から取り出したいと思う話はどれだけ増やすことが出来るでしょうか。

 

そんなことを思った、現場での研修でした。

子供扱いという傲慢と必然

最近は人間形成学という授業を中心に受けてまして。人間形成ってなんかすごく怖い響きに感じますが、内容としては教育学の一部みたいなイメージです。

 

時代背景含め、環境を踏まえた上でどんな教育施策が考えられてきたかを分析したり、今後求められる考え方を育むにはどんな経験をするのが良いかを考える学問。

ゆとり世代と呼ばれなくなって久しいなと思っていたら今度はミレニアル世代と呼ばれ、扱い方に困られるど真ん中の僕はいろんな想いを抱きながらこの授業を聞いているわけです。

 

気付けば社会人生活も5年目に入り、まだわずか10年目の我が組織の中では既に中堅ポジション。採用にも関わりながら売上を上げ、クライアントの満足度も高めるという全部取りの働き方ですが、タイミング的には経営と現場を繋ぐ役割を求められることも多くあります。中途社員と新卒社員と言い換えても良いですが。

 

インプットとしてティール型組織とかホラクラシーといった話題のワードについて調べたり、最近発売されたNetflixの人事戦略の本を読んだりしてるんですが、現場の主張として"子供扱い"するなというのが共通した思想であるように思います。

 

そりゃあ歴戦の勇者たちのような、時代を作ってきた諸先輩方から見たら僕らなんざどうしようもなく子供でしょうけど、その上で一ビジネスマンとして扱ってほしいってことです。

その先に組織構造がどうなるか、や事業決定として何を選択するかはトップが決めても良いと思います。結果的に上下関係が明確なピラミッド型組織になったとしても良いと思いますが、何より危ないのは"子供扱い"された現場社員が「この組織では何を言っても無駄だ」と感じてしまうことだと僕は思います。

若手社員はもちろん、学生でさえ情報にアクセスしやすくなった結果、一次情報ではないものの実態に近い認識を持っている"マセた"子供が増えているのでしょう。敢えて悪い言い方をしましたが、これは優秀かどうかとは別の話で、組織作りをする上で考えるべき重要なテーマだと思います。ゆとりだから、ミレニアル世代だから、と切り捨てる行為こそが、"子供扱い"して取り合わないことに他ならないんじゃないかなと、僕は感じるわけです。

 

人間形成学のなかでは、学ぶ/教えるといった関係性に疑問を投げかけるような話も出てきます。レイヤーは複数あるかと思いますが、大人が子供に教えたいことを選択するところから、実際のやり方を教えるところまで、お互いがお互いの気付きを刺激し合うようなコミュニケーションを意識すべきなのではないか、という意見もありました。"子供"と"大人"、"学ぶ側"と"教える側"を区別しないという主張は、組織作りにおける"子供扱い"の構造に近いような気がします。

 

ただ、個人的な意見としては、いわゆる基礎教養的な知識の部分は学ぶ/教えるで良いのではとも思っています。

結局ベストまで導ききれない議論ではありますが、思ったことをまとめておきました。

スーパーオリジナル

KICK THE CAN CREW 「住所 feat. 岡村靖幸」Music Video - YouTube

 

我が青春と言っても過言ではない、KICK THE CAN CREWが復活してから少し経ちました。

 

唯一無二な存在感こと岡村靖幸とのコラボを果たし、このカッコよさですよこのカッコよさ。

EDMっぽいニュアンスのイントロから、期待を敢えて裏切りMCUがクールに切り込んだ瞬間に心を捉えて離さない。KREVAはやっぱりメロディアスなラップが似合いますよね。反面littleは畳み掛けるようなスピード感にゾクゾクします。

懐かしさと新しさのブランドに酔いしれる時間も、岡村ちゃんのフラット気味なシャウトにかき消されます。中毒性を具現化した存在。

 

そして、"住所"という曲名をつけるセンス。爆笑問題カーボーイでラジオネーム"身長"が出て来た時ほどの衝撃。勝てない。

 

にしても、このMVかっこよすぎませんか。細部にまで配慮が行き届きすぎ。

あとどうでもいいんですが、終盤にある、カメラを囲んで歌う感じが大好きです。満を持しての全員集合がアベンジャーズ感あって良いんでしょうか。たまらん。

彼女は頭が悪いから

清田代表/桃山商事 on Twitter: "姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』を読んだ。2016年に東大のインカレサークル「誕生日研究会」メンバーが起こした強制わいせつ事件を題材にした作品。ものすごい小説すぎてここ数日ずっと頭から離れない。今朝もこの小説の夢を見たくらい、とにかく頭から離れない。… https://t.co/TZA8MvdRlW"

このツイートを見て、

東大生強制わいせつ事件傍聴人が「彼女は頭が悪いから」を読んだから - 人生万事こじらせるべからず

このエントリを読んで、

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

この本を読んでみました。

 

桃山商事清田代表のツイートにもありましたが、熱量がすごい作品でした。そして、読み進めるのが苦しい作品でもありました。

 

まだモヤモヤと、ぐるぐると渦巻く感情の整理が出来ていないのですが、きっといつかこの本のことを思い出すことになる、思い出したいと思うはずなので、今の思いを今の言葉でまとめておこうと思います。

 

 

東大生による、女子大生の強制わいせつ事件を元にした小説。

ただ、この小説の主人公は当該事件の主犯格ではなく、共犯格として事件に関わり逮捕された人物がモチーフとなっている。前述のエントリを読んでもらえるとわかりやすいかと思うが、ここにこの小説のキモがある。

読み進めれば読み進めるほど、加害者たちの価値観が形成されていく過程と表出する様々なイベントの描写から、筆者の想いは痛いほど伝わる。特に、登場人物たちの心理描写の生々しさには、嫌悪感を感じざるを得ない。この嫌悪感の正体が、まだ僕には、説明できる状態にない。

 

描かれているテーマは、"ホモソーシャル"な中で培われた価値観の危険性だと僕は感じた。自分の価値観が真だと信じて疑わない加害者たちに、控えめでコンプレックスを抱え自己肯定感が低く、少しでも認められたような評価をされると嬉しくなって信じ切ってしまう被害者。

 

誤解を恐れず言うと、どちら側の気持ちにも共感する部分があった。だからこそ、上述の"嫌悪感"が何に対するどんな感情なのか自分でもわからない。多分単一方向の、純粋な感情ではないからなんだと思う。

 

もちろん、加害者たちの価値観に対する嫌悪感は強くある。が、読めば読むほど、自分の価値観と登場人物たちの価値観や成長環境が繋がったり切り離されたりして、どんどん構造的に複雑になる。似ていると思いたくないからこそ無理やり理解出来ないことにしているのではないか、とまで悩んだ。自分の男性性や、性的な感情に対してすら嫌悪感を抱いた瞬間もあった。

 

個人的な考えでは、何か解決すべき課題があるとき、その原因は個人に求めるべきではないと思っている。本当に悪かったのは、加害者たちだけなのか。いろんなパズルのピースが悪い方にハマってしまっただけではなかったか。彼ら自身も、不幸な環境下で人格形成が行われてしまっただけなのではないか。擁護するつもりはないが、こうも考えた。加害者たちは、賢く自己肯定感が強い、逆に言うと他者の気持ちを慮ることが出来ない子供のようだとも感じた。

 

また、自分をこの小説の世界に仮に登場させると、誰に近い立場なのか。その場面場面ではどう振る舞うのか。自分を混ぜ込むと、余計に吐きそうになる。

このブログでも何度か表現しているが、多様な価値観があることを認めて欲しい、認めるべき、多様な価値観に触れることが多い方が良い、と思っている自分の価値観こそが、偏った価値観なのではないか。答えなんかない。ないからこそ、苦しい。

 

 

それでも今の僕は主張し続けたい。し続けるしかないんだと思う。大人になる、とは、多様な価値観に触れ受け入れていくことなのかもしれない、と。今まで出会った、僕の思う素敵な人たちは、そんな人たちだったから。 

一発屋と出会い系

長期休みは気合入れないと持て余すということがわかってしまった。年末年始はどこぞへと旅行にでも行こう。

 

ということで、読みたかったけど読めていなかった本をざざっと。

 

電子書籍の数え方は1冊2冊で良いのかは置いておいて、1冊目はこちら。

 

一発屋芸人列伝

一発屋芸人列伝

 

 

言わずと知れた?かのお笑いコンビ"髭男爵"の貴族の方こと山田ルイ53世が綴った"一発屋芸人"たちのリアル。皮肉カラメ愛情マシマシで語られるエピソードは涙なしでは読みきれない。

 

普段我々の前では自虐的で、いじられやすいような振る舞いをしがちな芸人の方でも、一度バックグラウンドを紐解けば試行錯誤の色が見える。親近感も湧き、笑いの質も変わってくるのではないだろうか。

 

中でも、コウメ太夫氏について書かれた一節は秀逸。"できない"から面白い、ルールを変えた瞬間に王者になる芸人というくだりは感動すら覚えてしまう。

 

桃山商事の清田代表に読んでもらって、ぜひ感想を聞きたいなぁ。恋バナ要素は一切なしだけど。

 

 

そして、2冊目はこちら。この本はまさにその桃山商事の清田さんが勧めていて興味を持った記憶。

 

あらすじはほとんどタイトルの通り。敢えてこちらのフィールドから解釈すると、ナナメウエの存在とたくさん出会いながら、自分の好きなことと、ひいては自分自身と向き合う話。

 

家庭とも、仕事とも違う価値観で過ごす"赤の他人"と出会い系サイトをきっかけにつながり、自分の好きなことである本をすすめる。時には苦戦しながら本をすすめることにもなるが、そのプロセスから学ぶことがある。

 

何より、人とつながるって、大変なこともあるけど、ものすごく大きなエネルギーを生むことが"本を薦める"特技を軸に描かれていた。

 

 

 

たまたま選び、同タイミングで読んだ2冊だが、"失敗とは何か"が共通点として浮かび上がる。一見すると、スベることや離婚が失敗とも受け取られそうだが、ルールを変えるとそんなことは(こんな言い方も乱暴かもしれないが)失敗に分類することは出来ないと感じる。

本人の受け取り方と、周りの受け入れ方。そのすり合わせとギャップに面白さの妙がある2冊に出会えてよかった。

 

日常非日常(ピジョッピジョッピ)

TURNフェス@都美術館、滑り込みで見に行ってきました。移動時間を読み誤ったせいで着いた瞬間クロージングトークセッションが始まるという。ただそのトークセッションが静かに素晴らしかったので、メモだけいったんアップします。あとでちゃんとそれぞれのトピックについてまとめようと思います。

 

登壇 森司さん、日比野克彦先生、若林恵さん


TURNは、アートプロジェクトだと言い続けている

アートは人といかに違うかに価値がある

ダイバーシティは、むしろ得意な領域

 

SNSでつながることで、地域のなかにおける強みみたいなものが薄くならざるを得ない


ベルリンにおける、市民の社会彫刻という概念


アートが苦手だと言わせてしまう出会い方

アーティストと美術館の役割を更新しないといけない

高度成長後、美術館が増えたのがいま建て直すタイミング


公共と民間の間にあるソーシャルなセクターが海外にはある

行政は行政の理屈がある


教育を国がやっている限り、堂々巡りなのでは?


アートは、人がいないときが一番美しい


時間の蓄積の可視化


フェスだと、お客さんの側からの意見が取り入れやすい


非正規雇用と呼ぶか、フリーランサーと呼ぶか


言葉の規定力は強い

 

自分が必要だと思ったものを、そのまま表現する

表現未満を出してみてくださいという、厳しいオーダー


フォーマットを壊しに行かないと、なにかを作るということは重すぎる

箱を用意するというより、似たことを考えている人たちが集まったら、そこに小屋を作る

 

工学的なアプローチは限界がきている

そこにあるものを使って、結果どうなるかはわからないというようなアプローチが出てきている

エンジニアリング側にどんどん含まれていってる


計画なんて組めない世の中になってきている

企画書かいた時点で、ダメ

どこまで責任持てるか、の見極めさえ行う


手を動かす美術館


経済の話がなかった

福祉という言葉が残念

言葉のアップデートが必要


メンタルヘルスのANXYという雑誌