食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

彼女は頭が悪いから

清田代表/桃山商事 on Twitter: "姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』を読んだ。2016年に東大のインカレサークル「誕生日研究会」メンバーが起こした強制わいせつ事件を題材にした作品。ものすごい小説すぎてここ数日ずっと頭から離れない。今朝もこの小説の夢を見たくらい、とにかく頭から離れない。… https://t.co/TZA8MvdRlW"

このツイートを見て、

東大生強制わいせつ事件傍聴人が「彼女は頭が悪いから」を読んだから - 人生万事こじらせるべからず

このエントリを読んで、

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

この本を読んでみました。

 

桃山商事清田代表のツイートにもありましたが、熱量がすごい作品でした。そして、読み進めるのが苦しい作品でもありました。

 

まだモヤモヤと、ぐるぐると渦巻く感情の整理が出来ていないのですが、きっといつかこの本のことを思い出すことになる、思い出したいと思うはずなので、今の思いを今の言葉でまとめておこうと思います。

 

 

東大生による、女子大生の強制わいせつ事件を元にした小説。

ただ、この小説の主人公は当該事件の主犯格ではなく、共犯格として事件に関わり逮捕された人物がモチーフとなっている。前述のエントリを読んでもらえるとわかりやすいかと思うが、ここにこの小説のキモがある。

読み進めれば読み進めるほど、加害者たちの価値観が形成されていく過程と表出する様々なイベントの描写から、筆者の想いは痛いほど伝わる。特に、登場人物たちの心理描写の生々しさには、嫌悪感を感じざるを得ない。この嫌悪感の正体が、まだ僕には、説明できる状態にない。

 

描かれているテーマは、"ホモソーシャル"な中で培われた価値観の危険性だと僕は感じた。自分の価値観が真だと信じて疑わない加害者たちに、控えめでコンプレックスを抱え自己肯定感が低く、少しでも認められたような評価をされると嬉しくなって信じ切ってしまう被害者。

 

誤解を恐れず言うと、どちら側の気持ちにも共感する部分があった。だからこそ、上述の"嫌悪感"が何に対するどんな感情なのか自分でもわからない。多分単一方向の、純粋な感情ではないからなんだと思う。

 

もちろん、加害者たちの価値観に対する嫌悪感は強くある。が、読めば読むほど、自分の価値観と登場人物たちの価値観や成長環境が繋がったり切り離されたりして、どんどん構造的に複雑になる。似ていると思いたくないからこそ無理やり理解出来ないことにしているのではないか、とまで悩んだ。自分の男性性や、性的な感情に対してすら嫌悪感を抱いた瞬間もあった。

 

個人的な考えでは、何か解決すべき課題があるとき、その原因は個人に求めるべきではないと思っている。本当に悪かったのは、加害者たちだけなのか。いろんなパズルのピースが悪い方にハマってしまっただけではなかったか。彼ら自身も、不幸な環境下で人格形成が行われてしまっただけなのではないか。擁護するつもりはないが、こうも考えた。加害者たちは、賢く自己肯定感が強い、逆に言うと他者の気持ちを慮ることが出来ない子供のようだとも感じた。

 

また、自分をこの小説の世界に仮に登場させると、誰に近い立場なのか。その場面場面ではどう振る舞うのか。自分を混ぜ込むと、余計に吐きそうになる。

このブログでも何度か表現しているが、多様な価値観があることを認めて欲しい、認めるべき、多様な価値観に触れることが多い方が良い、と思っている自分の価値観こそが、偏った価値観なのではないか。答えなんかない。ないからこそ、苦しい。

 

 

それでも今の僕は主張し続けたい。し続けるしかないんだと思う。大人になる、とは、多様な価値観に触れ受け入れていくことなのかもしれない、と。今まで出会った、僕の思う素敵な人たちは、そんな人たちだったから。