食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

柳緑花紅/転職エントリ

気付けば転職からひと月が経った。*1

このブログ的には藝大のプログラムを修了した話とか、一人暮らしを始めて気付いたこととか色々と書こうかと思っていたのだが*2前回の記事が意に反して毒気のある文章になっていたため少し時間を置いてみた。

転職をしたことにより心機一転インプットし、また、ナレッジを共有する文化に早くも染まりつつあるので久しぶりに思っていることを書き残しておこうかなと思っている。

現職と前職を比べるような内容にはなるが、大前提としてどちらにも非常に感謝しているし、どちらを批判したいとかの意図は全くない。

あくまでも、二つの環境に身を置いたことで感じることのできた構造の違いやそれによって発生する力学を今感じているまままとめておきたい。

 

前職について

新卒で入社した調査会社で、データアナリストとして5年半在籍した。その期間に新卒を中心に採用し、組織は二十数名から百名近くに拡大していった。ギリギリ全員の顔と名前が一致する規模だったように思う。

調査とはいえユニークな自社データを保有しており、世の中的にもサービスの独自性は高く非常にチャレンジングな仕事だったと思う。5年半を通じてしんどい時期ももちろんあったが、常にゴールに辿りつけない面白みがあった。

また、非上場のベンチャーだったが経営陣は経験豊富で、創業以来黒字経営を続けていた。

 

現職について

今流行りのSaaS企業で、全社横断でデータ分析基盤の整備とビジネスアナリティクスを行う部署の立ち上げタイミングにジョインした。上場しており規模は1000名に満たないくらい。物凄い勢いで拡大しており、中途同期が20名以上居ることを知ったタイミングでは驚いてひっくり返りそうになった。

まだ入社して一ヶ月しか経っていないこともあるが、もちろん顔と名前は一致しない。カオナビと座席表を行ったり来たりしている。電話の出方は未だわからない。

転職した理由

冗談めかして本音と建前があるとか言っていた時期もあったが、正直全部本音だった。

一番大きな理由は事業会社に行きたかったという所謂なもの。 調査会社としての位置付けだとどうしても自分が行った分析の結果がどういうコミュニケーションを通じてどこにどういった形で繋がっているかわかりづらかった。*3 また、自分の事業を持つということが何に責任と覚悟を持つということか体感してみたかった。好奇心にはどうしても勝てなかった。

それ以外の理由はほとんどが同列。というか同根だと今では感じている。別テーマとして後述する。

入社前と入社後のギャップ

想像していた以上に、"人が多い"ということは面白い。 入社してからいろんな方にご飯に誘っていただくことも多く、「他人に興味がある人が多い組織なんだな」と感じていたが、多分違う。"他人に興味がある人"がいれば、”他人に興味がない人”もいて、"興味がある人"が誘ってくれているだけなんだろうと思う。元調査屋のクセにサンプリングバイアスに騙されるところだった。

居場所

転職の理由と入社前後のギャップ両方に関わる話。

前職は本当に優秀な人が多かった。自分の業務範囲を狭めず、必要であればなんでもやる、そんな人が多かった。自分もそれが理想形だと信じ、業務範囲を拡げ一人で価値創造ができるようになろうと思っていた。そのおかげで営業も調査設計も集計も分析も出来る、独特なスキルセットを学ぶことが出来たので、個人的には良かったと思っている。

一見素晴らしいことに思える、そこにしんどさがあった。忙しいとか、クライアントが手強いとか、そういう類のものでは無い。これが溜まり、溢れて、転職の理由になった。

組織はもちろん分かれているが、優秀なメンバーは自分の業務領域を広げ、なんでもやる。営業チームじゃなくても営業活動をし、集計分析チームでなくてもデータの集計をし、分析をする。では、自分の仕事は何なのか。自分は何をインプットし、どんなアウトプットにプライドを持てば良いのかが、わからなくなった。

自分は周りの存在を通じて、自分のすべきことや目指すべき姿を見出していた。ここが良くなかったといえばそうなのかもしれない。ただ、他人と一緒に働くということは、僕にとってお互いの強み弱みを理解し、補完していくプロセスだと思っていた。自分の理想とする働き方がそうだった、と言っても良いかもしれない。在籍年数が伸びれば伸びるほど、周りからの見られ方が固定化し、循環しなくなり、溢れた。自分の居場所を見失い、踏ん張りが利かず、環境を変えることを選んだ。

もちろん、これは結果論として思っていることで、当時の自分にここまでクリアな整理ができていたわけではない。別の組織に身を移し、仕事という言葉の意味が人それぞれでありながら自分の仕事の意味の中でプライドを持って価値を作っており、かつ各々がお互いの仕事を理解し尊重しているのを目の当たりにしたから気付けたことである。

周りと比べて自分が何が得意か、なんてことはあまりわからないし、得意なことを仕事にできているかもわからない。ただ、自分は組織横断のデータ分析部署にいて、データ分析にプライドを持って取り組む必要があることは確かである。足りないものが明確だから、何を学べば良いかも明確になった。居場所があり、みんながその居場所で自分なりに頑張っている。それをどう価値に変えるかは、みんなで考えていけば良い。居場所がないことが一番辛かったし、居るのがつらい組織にしないために、今から自分が何をすべきか考えながら今は働いている。

その他 転職エントリに書いたら良さそうなこと

スキル

必要スキルは少し変わった。イメージとしては元々やっていた営業・調査設計部分が減り、データ基盤構築側の知識が必要になった感じか。純粋な営業行為はともかく調査設計部分が薄くなってしまったのは自分のキャリア的にもったいない気がするので、データ基盤周りが落ち着いたらアドホックな分析テーマも社内に声をかけて作っていこうと思っている。管理会計的な分析もこれから増えていきそうで、そこはすごく楽しみである。

クライアントワークから社内向けの分析に移った形となるが、社内外問わず頼られるのは純粋に嬉しいし、社内でデータ分析部署を名乗るからにはプライドを持ってやらないとなと思っている。クライアントワークでも同じだったが、虚勢を張ってもあまり良いことはないのでそこは気をつけている。対クライアントより自然体でいられるような気はする。

働き方

フレックス→フレックス。前職ではあまり使ったことがなかった(というか今考えるとどういうものなのかの理解が浅かった)が、いろんなバックグラウンドの人がいるといろんなタイミングで出社して退勤するんだなあと思った。いろんな人がいるため別に理由まで気にするわけでもなく、単純に人が多いっていいなと感じた。

給与・福利厚生

給与は前職とほぼ変わらず。住宅手当こそあるが条件にマッチした物件が見つけられず適用外なので、福利厚生もほとんど変わらず。強いて言うなら資格取得報奨金がなくなったのは少し残念。

(余談)言葉がわからない

SaaS領域は略語とカタカナが多すぎる。アドテクかSaaSかってなところだ。DMPとかSSPとかOTAとかに囲まれ怖かった記憶を呼び起こされた。 「MRRとARPUをKPIとしてモニタリングしつつ、チャーンレートも追いたい」と言われた時には祖母にトラディショナル秋田弁で話しかけられた時と同じくらい狼狽えた。サブスクリプションザ・モデルが助けてくれた。

最後に

後輩が多かったこともあり、退職の仕方には自分なりにかなり気を遣った。引き継ぎ等を全力でやることは大前提としても、僕のバイブルである"居るのはつらいよ"言うところのケア的に離れることを心がけた。

出来るだけ波風は立てずに、日常が日常のまま形を変えず続くように、居場所を無くしたつもりである。メンバーが変わろうが、メンバーの意識が変わろうが、市場環境が変わって求められるものが変わろうが、今その場にいる人たちが組織である。アセットもすべきことも刻一刻と変わっていく中、最善は何かを導きながら走らなきゃいけない、経営とはなんと大変なことか。願わくば自分以外の変数でも形を変えうる組織が今まで以上に一丸となり、上下や横の関係性に頑なにならずユニークな価値を生み出し続けて欲しいと、偉そうながら思っている。

届かないとは思うが、5年半さまざまな経験をさせてもらった組織には本当に感謝している。また、転職にあたり相談に乗ってくださった方々、ふわっとした転職意向を整理しベストな選択は何かを一緒に考えてくださったエージェントの方にも感謝を申し上げたい。*4

タイトルは有給消化中に行った広島県福山市の神勝寺で出会った言葉。行きにくいけど静かでとても良い場所だった。

*1:今更特定がどうのこうの言える内容のブログではないが、厳密に言うとひと月が経ったタイミングで書いた記事でいまはもうすこし経っている

*2:事実下書きには数件の記事が残っている

*3:これは自分の実力不足のせいでもある

*4:一般的には転職を促してこその職種だとは思うが、そう言ったことは本当になく話を聞いてくださったように思う。