食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

渋滞絶景

だいぶ時間が空いてしまったが、モヤモヤしていなかった訳ではない。4月から大学に通いインプットしたものを反芻し、消化した結果自分の中での解答がすこしだけ出しやすくなった、それだけの話でこんなにも簡単に発信することをやめてしまうとは。我ながら甲斐性のなさに驚きである。

 

 

12/17の授業では、車イスホストで有名な寺田ユースケさんにお越し頂いた。

産まれながらの脳性麻痺で下半身不随にも関わらず、寺田さんは"スーパーポジティブ"と自称する通り、明るくどんな困難も楽しんで乗り越えてきたように見えた。もちろん、辛いこともあっただろうと思うが、そこを明るく面白く語る寺田さんは、見た目の印象も相まって本当にカッコ良いなと思った。

 

寺田さんはかつて、お笑い芸人だった時期もあるらしい。障がいが笑いに変えられる世界を夢見ていたらしい。

ホスト時代の源氏名はクララ。なんともウィットに富んだネーミングである。クララが立ったらシャンパンが入るノリもあったらしい。当時の上司との感動的なエピソードも素敵だったが、その辺りは僕からではなく、著書で触れてもらうのが良いと思う。

車イスホスト。

車イスホスト。

 

 

寺田さんは"笑いに変える"ことをして欲しい、ように見えた。これはこのブログでも何度か取り上げたテーマだが、"笑いに変える"ことが受容か拒絶か、というのは非常に難しい問題だと思う。良いタイミングなので直接聞いてみることにした。

その回答が実に素晴らしいもので、

「笑いに変えられたい人もいれば、そうではない人もいるとは思う。でもそれは、障がいの有無にかかわらず人によって違うものだから、障がいの有無で見分けるべき問題ではない。」

とのこと。本当にその通りだと思う。だからこそ、そこを強調してほしかった。外さずに、キーポイントとして、前提として発信した上で、僕(寺田さん)は笑いに変えて欲しい、と語ってほしかった。

 

寺田さんはYouTuberとして、奥様と動画配信もしている、とのこと。そのくらい影響力があるからこそ、前提は丁寧に語ってほしかったと僕は思う。

 

前提が丁寧に語られずに主張されると、押し付けがましさを感じてしまうように思う。あたかもそれが大多数の声かのように、正義かのように、当然車イスは押してくれますよね?と言われたように感じた。

僕の思うダイバーシティは、みんなが分かり合い、助け合うことではない。人それぞれ、完全に理解し合うことは出来ない、という前提の上で、どんな価値観であっても尊重し合うことである。車イスを押してくれと頼まれて押す、その"押し"つけに対する違和感を拭い切れず、その場を立ち去ってしまった僕を、果たして寺田さんは尊重してくれるのだろうか。YouTubeを通じて全世界に発信される映像には、断る人間の姿は尊重され描かれているのだろうか。

 

拒絶してしまう僕が許容されることが、ダイバーシティではないのか。その問いを、僕はこの場で彼に押し付けることで自分を保とうとする。そんなずるい人間性を書き記すことに価値があるのかはわからないが、忘れてしまったら何にもならず勿体ないので、久しぶりにブログを書こうと思ったのである。