食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

子供扱いという傲慢と必然

最近は人間形成学という授業を中心に受けてまして。人間形成ってなんかすごく怖い響きに感じますが、内容としては教育学の一部みたいなイメージです。

 

時代背景含め、環境を踏まえた上でどんな教育施策が考えられてきたかを分析したり、今後求められる考え方を育むにはどんな経験をするのが良いかを考える学問。

ゆとり世代と呼ばれなくなって久しいなと思っていたら今度はミレニアル世代と呼ばれ、扱い方に困られるど真ん中の僕はいろんな想いを抱きながらこの授業を聞いているわけです。

 

気付けば社会人生活も5年目に入り、まだわずか10年目の我が組織の中では既に中堅ポジション。採用にも関わりながら売上を上げ、クライアントの満足度も高めるという全部取りの働き方ですが、タイミング的には経営と現場を繋ぐ役割を求められることも多くあります。中途社員と新卒社員と言い換えても良いですが。

 

インプットとしてティール型組織とかホラクラシーといった話題のワードについて調べたり、最近発売されたNetflixの人事戦略の本を読んだりしてるんですが、現場の主張として"子供扱い"するなというのが共通した思想であるように思います。

 

そりゃあ歴戦の勇者たちのような、時代を作ってきた諸先輩方から見たら僕らなんざどうしようもなく子供でしょうけど、その上で一ビジネスマンとして扱ってほしいってことです。

その先に組織構造がどうなるか、や事業決定として何を選択するかはトップが決めても良いと思います。結果的に上下関係が明確なピラミッド型組織になったとしても良いと思いますが、何より危ないのは"子供扱い"された現場社員が「この組織では何を言っても無駄だ」と感じてしまうことだと僕は思います。

若手社員はもちろん、学生でさえ情報にアクセスしやすくなった結果、一次情報ではないものの実態に近い認識を持っている"マセた"子供が増えているのでしょう。敢えて悪い言い方をしましたが、これは優秀かどうかとは別の話で、組織作りをする上で考えるべき重要なテーマだと思います。ゆとりだから、ミレニアル世代だから、と切り捨てる行為こそが、"子供扱い"して取り合わないことに他ならないんじゃないかなと、僕は感じるわけです。

 

人間形成学のなかでは、学ぶ/教えるといった関係性に疑問を投げかけるような話も出てきます。レイヤーは複数あるかと思いますが、大人が子供に教えたいことを選択するところから、実際のやり方を教えるところまで、お互いがお互いの気付きを刺激し合うようなコミュニケーションを意識すべきなのではないか、という意見もありました。"子供"と"大人"、"学ぶ側"と"教える側"を区別しないという主張は、組織作りにおける"子供扱い"の構造に近いような気がします。

 

ただ、個人的な意見としては、いわゆる基礎教養的な知識の部分は学ぶ/教えるで良いのではとも思っています。

結局ベストまで導ききれない議論ではありますが、思ったことをまとめておきました。