適切な制約を選ぶセンスが問われているのではないか、という話
最近、短歌にハマっている。
と言っても詠むまでにはまだ到達していないのだが、歌人の皆様の目というか、現実を切り取る切り口には本当に感動するばかり。
中でもお気に入りは木下龍也さんで、そこから徐々に拡げていっている最中である。楽しい。
この一冊が特におすすめ。きっと創作活動の中で何度も読み返すと思う。
作曲も再開した。以前作っていた曲の再編集もあれば、完全新作もある。
上の本に影響されて、1日1テーマ、曲になりそうなテーマを見つけるようにしていて、やっと100件に到達しようとしている。僕はテーマを先に決めて、そこから情報を追加したりストーリーを足して歌詞にしていくスタイル。
一方で、困ることもある。最近の作曲活動には選択肢が多すぎるのだ。
例えばアレンジに使える楽器の種類。 ノートパソコン一台あれば、ソフトウェア音源で世界のメジャーな楽器はほとんど打ち込める。
足さないと物足りないことも多いけど、足せば足すほど良いってもんでもない。もう、潔く5人組バンドの編成で出せる音だけでアレンジを考えたくなる。
星野源さんの新曲「創造」は本当にすごい。
カオスになりかねない量の要素を詰め込んで、ギリギリのラインでポップにまとめている。似たことをしていた存在で清竜人というアーティストもいるが、僕はどちらも大好きだ。
何かを決めることそれ自体より、決め方の決め方がまず難しいという現象は、仕事でもしょっちゅう起こる。データ基盤として何のツールを選ぶかの議論は、決め方を決めるところから議論が始まる。データを集め、蓄積し、集計する。それだけでも求められる要件は膨大な量になる。その要件を整理した上でじゃないと、大きな決断はできない。
(一方でここをある程度エイヤで決めて前に進んでいく力も必要だなと感じている最近である)
思えば、短歌も57577という字数の制約がある。だからこそ、一つ一つの言葉に乗せる情報と責任が大きくなり面白いのではないか。僕がかく歌詞と比べても、一文字単位の重みが違うように感じる。
こうなってくると、選択肢が溢れる社会では適切に自分から制約を選ぶことが大切なのではないかと思う。それは譲れない要素でも良いし、諦めたことでも良い。ただし、適切に制約を選べないと、多分決断を誤る。この敢えて選択肢を狭めるための制約を選ぶセンスってどうやったら身に付くものなんだ。誰か教えて欲しい。