生きづらさの非対称性について
基本的に、団体行動があまり得意ではない。
いつからだったかは覚えていないが、同調圧力を感じながら、敢えてそれと違うことをしてみるという癖がついてしまった。
「スカしている」「斜に構えている」と言われることが増えた。
情報の非対称性という言葉がある。
立場の違う人同士で知っている情報が違うため、意見に不一致があったり、不公平が生まれてしまうという現象のことである。
よく言われるのは、採用する側の企業と採用される側の学生とか。
転職系口コミサイトに加えて、就活についても口コミが見られるサイトがあるというのはこのあたりの解消を目的としたものだろう。
生きづらさ、にも非対称性があると思う。これが、結構しんどい。
団体行動において、大きく流れを作ることができる人がいる。
人をいじり、自分をさらけ出し、場の空気を掌握する。
自分の主観における“こうなったら面白い”をその場に持ち込み、具現化する。
もちろんその場が盛り上がるのだから、それは一つの正解なのであろう。
その場における多数派の意見として、承認の笑いが起こる。いや、承認なのかはわからないが、どちらにせよ笑いは起こる。
それが、自信がなく俯瞰癖のある自分には、すごく苦しい。
いろんな価値観があって人は完全に理解しあえないという前提も、行き過ぎるとこうなるのか。
大きな流れに合わない人もいる、そのことを慮り過ぎた結果どこにどう選択肢を配置すれば良いのかがわからなくなってしまった。
大きな流れを作っている側はそんな瑣末な配慮には気づかない。
どうしようもなく、小さなことが目に入ってしまう側にしか見えない非対称な力学が働いているのである。
結局盛り上がりに水を差すわけにもいかず、とはいえ乗りこなすことも出来ず、大きさの合わない枠に無理矢理自分をはめ込もうとするような心地悪さを感じながら手を叩き笑うのである。
だから僕はいつも、そんな旅の帰路には深夜ラジオや落語を聴くことで自分のペースのネジを巻き直すことにするのである。
深夜ラジオのパーソナリティや噺家からしたら迷惑な話だろうが、ペースメーカーとして、日常を整えてくださっていつもありがとうございます。
久しぶりに筆をとったら、なんだか暗い投稿になってしまった。