食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

適切な制約を選ぶセンスが問われているのではないか、という話

最近、短歌にハマっている。

と言っても詠むまでにはまだ到達していないのだが、歌人の皆様の目というか、現実を切り取る切り口には本当に感動するばかり。

中でもお気に入りは木下龍也さんで、そこから徐々に拡げていっている最中である。楽しい。

この一冊が特におすすめ。きっと創作活動の中で何度も読み返すと思う。

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作曲も再開した。以前作っていた曲の再編集もあれば、完全新作もある。

上の本に影響されて、1日1テーマ、曲になりそうなテーマを見つけるようにしていて、やっと100件に到達しようとしている。僕はテーマを先に決めて、そこから情報を追加したりストーリーを足して歌詞にしていくスタイル。

 

一方で、困ることもある。最近の作曲活動には選択肢が多すぎるのだ。

例えばアレンジに使える楽器の種類。 ノートパソコン一台あれば、ソフトウェア音源で世界のメジャーな楽器はほとんど打ち込める。

足さないと物足りないことも多いけど、足せば足すほど良いってもんでもない。もう、潔く5人組バンドの編成で出せる音だけでアレンジを考えたくなる。

 

星野源さんの新曲「創造」は本当にすごい。

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カオスになりかねない量の要素を詰め込んで、ギリギリのラインでポップにまとめている。似たことをしていた存在で清竜人というアーティストもいるが、僕はどちらも大好きだ。

 

何かを決めることそれ自体より、決め方の決め方がまず難しいという現象は、仕事でもしょっちゅう起こる。データ基盤として何のツールを選ぶかの議論は、決め方を決めるところから議論が始まる。データを集め、蓄積し、集計する。それだけでも求められる要件は膨大な量になる。その要件を整理した上でじゃないと、大きな決断はできない。

(一方でここをある程度エイヤで決めて前に進んでいく力も必要だなと感じている最近である)

 

思えば、短歌も57577という字数の制約がある。だからこそ、一つ一つの言葉に乗せる情報と責任が大きくなり面白いのではないか。僕がかく歌詞と比べても、一文字単位の重みが違うように感じる。

 

こうなってくると、選択肢が溢れる社会では適切に自分から制約を選ぶことが大切なのではないかと思う。それは譲れない要素でも良いし、諦めたことでも良い。ただし、適切に制約を選べないと、多分決断を誤る。この敢えて選択肢を狭めるための制約を選ぶセンスってどうやったら身に付くものなんだ。誰か教えて欲しい。 

バンドの曲作りにMVVを設定しようと思う

緊急事態宣言が明けて

丸二ヶ月、在宅で勤務する日々が続いた。他人とオフラインで関わることもほとんどなくなったが、それでも日常は前に記事で書いた通り、それほど変わらずに過ぎていった。

バンド活動ができない

もともと活動的な人間ではなかったが、バンドだけはしみじみ続けていた。6月ごろにライブできたら良いねと去年の夏頃?に組んだバンドだった。数曲がやっと形になってきたところで、コロナ禍に突入した。

当初は落ち着いたらまたみんなでスタジオに入って、曲を作って、ライブをやろうと思っていたが、事態が進むにつれてそれも難しそうだという状況に気づいた。完全に終息するのがだいぶ先になりそうなこと、ライブハウスの経営が困窮していて、ライブをやろうにも場所がなくなりそうなことが一気に押し寄せてきた。

時間が経ったら全てが元通りになることを期待していたけど、前提を変えて考える必要があると思った。バンドメンバーとZoom会議(という名目の飲み会)をした結果、発信したい想いを優先してDTM向きの曲を一曲DTMで仕上げてみようということになった。DTMもほとんど経験がなければ全員在宅で集まることもできない。でも、やってみないとわからないことがあるはず、という判断だった。

"良い"とは何かがわからない問題

メンバーが真面目なこともあって、DTMでの楽曲制作は、実際にやってみると思ったよりスムーズに進んだ。iZotopeのStayHomeキャンペーン*1で装備もいきなり強いものが手に入ったことにも助けられた。が、ミックスとかマスタリングとか、今まで全く考えたこともなかったテーマにぶつかり一気にスピードが落ちた。何のパラメータがあるのかの理解が浅く、一つ調整するともう一つが気に食わない感じになって、それを繰り返した結果何が良くて何が良くないのかがわからなくなってくる。前のものに戻した方が良いのではないかとすら思う。

そうだ、MVVを作ろう

曲作りでも同じことが起こる。それも、頻繁に。

こっちのリズムにこういうギターを載せた方が良いのではないか、このパートは2倍の長さにした方が良いのではないか、議論を重ねることで良くなっていくが、確かに良くなってはいくのだが、ビシッと決めるのが難しい時もある。一応リーダーをやってはいるが、僕は自分の意見に自信があるタイプではない。決めることには勇気がいるのだ。

一貫した判断基準が欲しいと思った。感性の世界で何かを作る上での基準。時間が経って振り返っても、その判断の根拠として立ち戻れる基準。

ちょうど本業で中長期の戦略を考えるプロジェクトに参加していた。MVVという言葉の重要さを肌で感じ始めたときだった。規模も目的も全く違えど、バンドも同じ時間を共有して何かを形作る複数人の"組織"じゃないかと思った。そうだ、バンドでもMVVを作ろう。

まずはMissionから?

一般的に、MVVは以下のように定義される。

  • Mission : 存在意義
  • Vision : ありたい姿
  • Value : 行動指針

MVVを策定する際、通常Missionから決めていくのが良いはず。そりゃそうだ、上位概念だもんな。と思いつつ、趣味でやっているバンドに社会的な存在意義を打ち立てるのもおかしな話なので、Visionから考えてみることにした。

  • Vision : 自分たちが良いと思う音楽をやりたいようにやって、結果的にそれを良いと思ってくれる人たちがいる姿

次にValue。個人的にはここが一番大事で、一番難しい。今までにしてきた決定を振り返り、言語化してみた。

本当は一言でまとめるのが良さそうだが、文章になってしまった。Idea DrivenとかAssociation Focusとか、英語にしても良いが意味が伝わらなくなりそうだし自分の心の拠り所にするだけなのでいったんこれで良しとした。

共有認識にするか否か

さらっと話したことはあったかもしれないが、バンドメンバーに正式に伝えたわけではない。直接会ってゆっくり話ができるときが来たら、MVVの話もしてみようと思う。きっと面白がって、良い感じに批判してくれるはず。そういう関係性を期待して、僕は今のメンバーを集めたのである。

*1:【無料】iZotope Ozone 9 Elements が期間限定で無償配布中!制作全般含め、このブログには本当に助けられました

近況

世の中で言われているほどは僕の日常は変わっていないし、落ち込んでいるわけでもない。気分に波がないと自分は曲も歌詞もブログも書く気にならないということが気づいた。

noteデビューを果たしたのはよかったけど二の手が続かないし、WIPだった記事は書き上げられなくていったん下書きに戻した。だいたいいつもそんな感じなんだけど、まあいいかなと思っている。それをわかっているから続かないとわかっていてもとりあえず手を出してみることにしている節すらある。

在宅勤務が当分続きそうだから、作業環境をよくしようと思ってMOFTを買った。とても良い。ノイズキャンセリングイヤホンも狙っているがワイヤレスだと良さそうなのは全部高いから迷っている。学生時代に買ったBOSEのQC25が大活躍しているし、使用頻度が高いものにはお金をかけて良いと思っているけどなかなかそれも踏み出せない。

同僚に似顔絵イラストを書いてもらった。自分がどう他人から見られているかわかる、とても良い体験だった。毛量が多いのはともかく、笑い方が悪戯っぽいのは自覚してなかった。

「休日にやろうと思っていたことは半分しかできない」というツイートを見た。「旅行に持って行った本は4分の1しか読まない」という話を聞いた。僕はその消化率すら達成しない気がするけど、自分のキャパシティをいつも上に見積もりすぎる節があるらしい。

曲を作って、ライブをやりたいと思っていたスケジュールはどうやら延期せざるを得ない。DTMを学ぶ機会だと捉えることもできるけど、どうしてもそういう方向性に自分を磨くことができない。

僕は自分に甘いけど、他人にも割と甘いから別に良いよね。良くないのかな。

柳緑花紅/転職エントリ

気付けば転職からひと月が経った。*1

このブログ的には藝大のプログラムを修了した話とか、一人暮らしを始めて気付いたこととか色々と書こうかと思っていたのだが*2前回の記事が意に反して毒気のある文章になっていたため少し時間を置いてみた。

転職をしたことにより心機一転インプットし、また、ナレッジを共有する文化に早くも染まりつつあるので久しぶりに思っていることを書き残しておこうかなと思っている。

現職と前職を比べるような内容にはなるが、大前提としてどちらにも非常に感謝しているし、どちらを批判したいとかの意図は全くない。

あくまでも、二つの環境に身を置いたことで感じることのできた構造の違いやそれによって発生する力学を今感じているまままとめておきたい。

 

前職について

新卒で入社した調査会社で、データアナリストとして5年半在籍した。その期間に新卒を中心に採用し、組織は二十数名から百名近くに拡大していった。ギリギリ全員の顔と名前が一致する規模だったように思う。

調査とはいえユニークな自社データを保有しており、世の中的にもサービスの独自性は高く非常にチャレンジングな仕事だったと思う。5年半を通じてしんどい時期ももちろんあったが、常にゴールに辿りつけない面白みがあった。

また、非上場のベンチャーだったが経営陣は経験豊富で、創業以来黒字経営を続けていた。

 

現職について

今流行りのSaaS企業で、全社横断でデータ分析基盤の整備とビジネスアナリティクスを行う部署の立ち上げタイミングにジョインした。上場しており規模は1000名に満たないくらい。物凄い勢いで拡大しており、中途同期が20名以上居ることを知ったタイミングでは驚いてひっくり返りそうになった。

まだ入社して一ヶ月しか経っていないこともあるが、もちろん顔と名前は一致しない。カオナビと座席表を行ったり来たりしている。電話の出方は未だわからない。

転職した理由

冗談めかして本音と建前があるとか言っていた時期もあったが、正直全部本音だった。

一番大きな理由は事業会社に行きたかったという所謂なもの。 調査会社としての位置付けだとどうしても自分が行った分析の結果がどういうコミュニケーションを通じてどこにどういった形で繋がっているかわかりづらかった。*3 また、自分の事業を持つということが何に責任と覚悟を持つということか体感してみたかった。好奇心にはどうしても勝てなかった。

それ以外の理由はほとんどが同列。というか同根だと今では感じている。別テーマとして後述する。

入社前と入社後のギャップ

想像していた以上に、"人が多い"ということは面白い。 入社してからいろんな方にご飯に誘っていただくことも多く、「他人に興味がある人が多い組織なんだな」と感じていたが、多分違う。"他人に興味がある人"がいれば、”他人に興味がない人”もいて、"興味がある人"が誘ってくれているだけなんだろうと思う。元調査屋のクセにサンプリングバイアスに騙されるところだった。

居場所

転職の理由と入社前後のギャップ両方に関わる話。

前職は本当に優秀な人が多かった。自分の業務範囲を狭めず、必要であればなんでもやる、そんな人が多かった。自分もそれが理想形だと信じ、業務範囲を拡げ一人で価値創造ができるようになろうと思っていた。そのおかげで営業も調査設計も集計も分析も出来る、独特なスキルセットを学ぶことが出来たので、個人的には良かったと思っている。

一見素晴らしいことに思える、そこにしんどさがあった。忙しいとか、クライアントが手強いとか、そういう類のものでは無い。これが溜まり、溢れて、転職の理由になった。

組織はもちろん分かれているが、優秀なメンバーは自分の業務領域を広げ、なんでもやる。営業チームじゃなくても営業活動をし、集計分析チームでなくてもデータの集計をし、分析をする。では、自分の仕事は何なのか。自分は何をインプットし、どんなアウトプットにプライドを持てば良いのかが、わからなくなった。

自分は周りの存在を通じて、自分のすべきことや目指すべき姿を見出していた。ここが良くなかったといえばそうなのかもしれない。ただ、他人と一緒に働くということは、僕にとってお互いの強み弱みを理解し、補完していくプロセスだと思っていた。自分の理想とする働き方がそうだった、と言っても良いかもしれない。在籍年数が伸びれば伸びるほど、周りからの見られ方が固定化し、循環しなくなり、溢れた。自分の居場所を見失い、踏ん張りが利かず、環境を変えることを選んだ。

もちろん、これは結果論として思っていることで、当時の自分にここまでクリアな整理ができていたわけではない。別の組織に身を移し、仕事という言葉の意味が人それぞれでありながら自分の仕事の意味の中でプライドを持って価値を作っており、かつ各々がお互いの仕事を理解し尊重しているのを目の当たりにしたから気付けたことである。

周りと比べて自分が何が得意か、なんてことはあまりわからないし、得意なことを仕事にできているかもわからない。ただ、自分は組織横断のデータ分析部署にいて、データ分析にプライドを持って取り組む必要があることは確かである。足りないものが明確だから、何を学べば良いかも明確になった。居場所があり、みんながその居場所で自分なりに頑張っている。それをどう価値に変えるかは、みんなで考えていけば良い。居場所がないことが一番辛かったし、居るのがつらい組織にしないために、今から自分が何をすべきか考えながら今は働いている。

その他 転職エントリに書いたら良さそうなこと

スキル

必要スキルは少し変わった。イメージとしては元々やっていた営業・調査設計部分が減り、データ基盤構築側の知識が必要になった感じか。純粋な営業行為はともかく調査設計部分が薄くなってしまったのは自分のキャリア的にもったいない気がするので、データ基盤周りが落ち着いたらアドホックな分析テーマも社内に声をかけて作っていこうと思っている。管理会計的な分析もこれから増えていきそうで、そこはすごく楽しみである。

クライアントワークから社内向けの分析に移った形となるが、社内外問わず頼られるのは純粋に嬉しいし、社内でデータ分析部署を名乗るからにはプライドを持ってやらないとなと思っている。クライアントワークでも同じだったが、虚勢を張ってもあまり良いことはないのでそこは気をつけている。対クライアントより自然体でいられるような気はする。

働き方

フレックス→フレックス。前職ではあまり使ったことがなかった(というか今考えるとどういうものなのかの理解が浅かった)が、いろんなバックグラウンドの人がいるといろんなタイミングで出社して退勤するんだなあと思った。いろんな人がいるため別に理由まで気にするわけでもなく、単純に人が多いっていいなと感じた。

給与・福利厚生

給与は前職とほぼ変わらず。住宅手当こそあるが条件にマッチした物件が見つけられず適用外なので、福利厚生もほとんど変わらず。強いて言うなら資格取得報奨金がなくなったのは少し残念。

(余談)言葉がわからない

SaaS領域は略語とカタカナが多すぎる。アドテクかSaaSかってなところだ。DMPとかSSPとかOTAとかに囲まれ怖かった記憶を呼び起こされた。 「MRRとARPUをKPIとしてモニタリングしつつ、チャーンレートも追いたい」と言われた時には祖母にトラディショナル秋田弁で話しかけられた時と同じくらい狼狽えた。サブスクリプションザ・モデルが助けてくれた。

最後に

後輩が多かったこともあり、退職の仕方には自分なりにかなり気を遣った。引き継ぎ等を全力でやることは大前提としても、僕のバイブルである"居るのはつらいよ"言うところのケア的に離れることを心がけた。

出来るだけ波風は立てずに、日常が日常のまま形を変えず続くように、居場所を無くしたつもりである。メンバーが変わろうが、メンバーの意識が変わろうが、市場環境が変わって求められるものが変わろうが、今その場にいる人たちが組織である。アセットもすべきことも刻一刻と変わっていく中、最善は何かを導きながら走らなきゃいけない、経営とはなんと大変なことか。願わくば自分以外の変数でも形を変えうる組織が今まで以上に一丸となり、上下や横の関係性に頑なにならずユニークな価値を生み出し続けて欲しいと、偉そうながら思っている。

届かないとは思うが、5年半さまざまな経験をさせてもらった組織には本当に感謝している。また、転職にあたり相談に乗ってくださった方々、ふわっとした転職意向を整理しベストな選択は何かを一緒に考えてくださったエージェントの方にも感謝を申し上げたい。*4

タイトルは有給消化中に行った広島県福山市の神勝寺で出会った言葉。行きにくいけど静かでとても良い場所だった。

*1:今更特定がどうのこうの言える内容のブログではないが、厳密に言うとひと月が経ったタイミングで書いた記事でいまはもうすこし経っている

*2:事実下書きには数件の記事が残っている

*3:これは自分の実力不足のせいでもある

*4:一般的には転職を促してこその職種だとは思うが、そう言ったことは本当になく話を聞いてくださったように思う。

生きづらさの非対称性について

基本的に、団体行動があまり得意ではない。

いつからだったかは覚えていないが、同調圧力を感じながら、敢えてそれと違うことをしてみるという癖がついてしまった。

 

「スカしている」「斜に構えている」と言われることが増えた。

 

情報の非対称性という言葉がある。

立場の違う人同士で知っている情報が違うため、意見に不一致があったり、不公平が生まれてしまうという現象のことである。

 

よく言われるのは、採用する側の企業と採用される側の学生とか。

転職系口コミサイトに加えて、就活についても口コミが見られるサイトがあるというのはこのあたりの解消を目的としたものだろう。

 

 

生きづらさ、にも非対称性があると思う。これが、結構しんどい。

 

団体行動において、大きく流れを作ることができる人がいる。 

人をいじり、自分をさらけ出し、場の空気を掌握する。

 

自分の主観における“こうなったら面白い”をその場に持ち込み、具現化する。

もちろんその場が盛り上がるのだから、それは一つの正解なのであろう。

その場における多数派の意見として、承認の笑いが起こる。いや、承認なのかはわからないが、どちらにせよ笑いは起こる。

それが、自信がなく俯瞰癖のある自分には、すごく苦しい。

 

いろんな価値観があって人は完全に理解しあえないという前提も、行き過ぎるとこうなるのか。

大きな流れに合わない人もいる、そのことを慮り過ぎた結果どこにどう選択肢を配置すれば良いのかがわからなくなってしまった。

 

大きな流れを作っている側はそんな瑣末な配慮には気づかない。

どうしようもなく、小さなことが目に入ってしまう側にしか見えない非対称な力学が働いているのである。

 

結局盛り上がりに水を差すわけにもいかず、とはいえ乗りこなすことも出来ず、大きさの合わない枠に無理矢理自分をはめ込もうとするような心地悪さを感じながら手を叩き笑うのである。

 

だから僕はいつも、そんな旅の帰路には深夜ラジオや落語を聴くことで自分のペースのネジを巻き直すことにするのである。

 

深夜ラジオのパーソナリティや噺家からしたら迷惑な話だろうが、ペースメーカーとして、日常を整えてくださっていつもありがとうございます。

久しぶりに筆をとったら、なんだか暗い投稿になってしまった。

渋滞絶景

だいぶ時間が空いてしまったが、モヤモヤしていなかった訳ではない。4月から大学に通いインプットしたものを反芻し、消化した結果自分の中での解答がすこしだけ出しやすくなった、それだけの話でこんなにも簡単に発信することをやめてしまうとは。我ながら甲斐性のなさに驚きである。

 

 

12/17の授業では、車イスホストで有名な寺田ユースケさんにお越し頂いた。

産まれながらの脳性麻痺で下半身不随にも関わらず、寺田さんは"スーパーポジティブ"と自称する通り、明るくどんな困難も楽しんで乗り越えてきたように見えた。もちろん、辛いこともあっただろうと思うが、そこを明るく面白く語る寺田さんは、見た目の印象も相まって本当にカッコ良いなと思った。

 

寺田さんはかつて、お笑い芸人だった時期もあるらしい。障がいが笑いに変えられる世界を夢見ていたらしい。

ホスト時代の源氏名はクララ。なんともウィットに富んだネーミングである。クララが立ったらシャンパンが入るノリもあったらしい。当時の上司との感動的なエピソードも素敵だったが、その辺りは僕からではなく、著書で触れてもらうのが良いと思う。

車イスホスト。

車イスホスト。

 

 

寺田さんは"笑いに変える"ことをして欲しい、ように見えた。これはこのブログでも何度か取り上げたテーマだが、"笑いに変える"ことが受容か拒絶か、というのは非常に難しい問題だと思う。良いタイミングなので直接聞いてみることにした。

その回答が実に素晴らしいもので、

「笑いに変えられたい人もいれば、そうではない人もいるとは思う。でもそれは、障がいの有無にかかわらず人によって違うものだから、障がいの有無で見分けるべき問題ではない。」

とのこと。本当にその通りだと思う。だからこそ、そこを強調してほしかった。外さずに、キーポイントとして、前提として発信した上で、僕(寺田さん)は笑いに変えて欲しい、と語ってほしかった。

 

寺田さんはYouTuberとして、奥様と動画配信もしている、とのこと。そのくらい影響力があるからこそ、前提は丁寧に語ってほしかったと僕は思う。

 

前提が丁寧に語られずに主張されると、押し付けがましさを感じてしまうように思う。あたかもそれが大多数の声かのように、正義かのように、当然車イスは押してくれますよね?と言われたように感じた。

僕の思うダイバーシティは、みんなが分かり合い、助け合うことではない。人それぞれ、完全に理解し合うことは出来ない、という前提の上で、どんな価値観であっても尊重し合うことである。車イスを押してくれと頼まれて押す、その"押し"つけに対する違和感を拭い切れず、その場を立ち去ってしまった僕を、果たして寺田さんは尊重してくれるのだろうか。YouTubeを通じて全世界に発信される映像には、断る人間の姿は尊重され描かれているのだろうか。

 

拒絶してしまう僕が許容されることが、ダイバーシティではないのか。その問いを、僕はこの場で彼に押し付けることで自分を保とうとする。そんなずるい人間性を書き記すことに価値があるのかはわからないが、忘れてしまったら何にもならず勿体ないので、久しぶりにブログを書こうと思ったのである。

デザイン関連書籍を素人の私見に基づいてまとめてみる

書きたいネタが溢れている。

 

ついこの間、後輩にデザイン関連の入門書を聞かれたので、素人の興味と直感に基づいて読んだ有象無象を整理してみた。(未読了本含)

 

全然違う領域で働いているがデザインに興味がある方向けには、なにかの助けになれば。反対にデザイン関係の仕事をされている方には率直なご意見やオススメの本をぶつけて頂ければ嬉しいです。

 

■二次元のデザインスキル

二次元と言い切ってしまうのが乱暴な気もするが、資料作成や媒体制作に直接的に活きるのはこのあたりかなと思っている。

 

・なるほどデザイン

・けっきょく、よはく。

けっきょく、よはく。 余白を活かしたデザインレイアウトの本

けっきょく、よはく。 余白を活かしたデザインレイアウトの本

 

なるほどデザイン読んだのもだいぶ前だし、けっきょくよはくについては読んでないけどなんとなくここに当てはまる気がしている。ひどい整理の仕方だ。ちゃんと読んだらまた書きます。笑

 

余談ですが、自分の思考を二次元に落とす、という意味では

これで思考を整理して、

 

図で考えるとすべてまとまる

図で考えるとすべてまとまる

 

これで二次元にまとめるのがオススメです。多分大学生か社会人1〜2年目向けの話ですが。

 

 

■そもそもデザインとは何か

後輩からのオーダーは主にこの領域。確かに世の中にはデザインという言葉が溢れすぎている。

 

・誰のためのデザイン?

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

 

入門書と言われているが個人的には結構重いと思う。笑

"デザインとは何か"を考える上で網羅性は高く、何度読んでも気付きがある、バイブルみたいな本。と言いつつ多分読みきれてない。読みます…。

 

・融けるデザイン

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

 

デジタルネイティブ世代のデザイン論、とでもいいましょうか。ちょっとカタカナが多くて言葉遣いが難しかったような印象がありますが、なるほどと思った記憶が。

物心ついたときにはPCが近くにあった?僕としては、なぜファイルをフォルダに入れるのか、とか疑問に思ったこともなかったですが、この本を読んで思わず唸りました。

 

 

 

■仕事としてのデザイン

デザインを仕事にする、ってどんな感じかわからなくないですか。厳密に区分すべきかどうかもよくわからないんですが、アートとも違い、クライアントの要望に応えたり、課題を解決することを目的にしているものがデザインだと思っています。課題解決のデザイン、僕も仕事にしたい。


・塑する思考

塑する思考

塑する思考

 

自分は何者でもない、と悩んだ時に読んだ記憶。周りからの力によって形が変わる"塑性"の塑の強さを教えてくれたような気がします。求められてこそ輝く存在がいてもいいじゃないか。


・デザインの仕事

デザインの仕事

デザインの仕事

 

デザインを仕事にしたいなと思い始めたときに読んだ一冊。デザイナーというのは本質を見抜くスキルに長けていて、頭が良くないと出来ないなと思いました。おこがましいですが自分に合ってる気もしつつ、憧れるスキルでもあります。デザイナーの方って絶対調査業界にいても仕事出来ると思う。

 

 

■その他デザイン、ビジネス寄りとか諸々

・新しい分かり方

新しい分かり方

新しい分かり方

 

表現と解釈の関係性を設計することをデザインと言うのであれば、これも立派なデザイン本。

削ぎ落としても伝わる実例を通じて、我々がどうやって物事を理解しているかを考える本。削ぎ落とし過ぎて立ち読みでも読みきれてしまいそうなのは秘密。

 

・謎床

謎床: 思考が発酵する編集術

謎床: 思考が発酵する編集術

 

僕の脳みそでは松岡正剛の編集を理解しきれなかったので、対談形式のこの本が救い。とはいえ引用されている例が多岐に広く深く、どういう人生を送ったらこうなるんや。

どこがデザインなんだ、と言われると困るものの、なんとなくこの二人の物事の捉え方がデザイン的だったから入れてみた。というか面白かったから勧めたかっただけの本。

 

・21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由

21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由

21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由

 

これだけ全然違った文脈で読んだ記憶。普通にビジネス書としてインプットしたが、面白かった記憶。右脳と左脳の話がどこまで事実かは知らないけど、ビジネスには論理と感覚どちらも重要だよなと改めて思わされた。なんでもそうか。

 

■ついでに好きな記事

感覚的には、誰のためのデザイン?と融けるデザインとこの記事の内容は近い気がする。

https://dely.design/n/n9a52c80847c3

 

この記事だいすき。このマイク、是非我が社にも導入したい。デザイン思考って、こういうことだと思うという事例。

会議中に質問する社員にはマイクを投げつければ一石二鳥!(デザインで解決する会議の課題) - SmartHR Tech Blog

 

 

 

未読了本多過ぎて我ながら情けなくなった。

そして、二度とスマホでこの文量は書かないと誓った。