10年メモと百日咳
同じことを繰り返し続けることが苦手な僕ではあるのだが、10年メモというものを買ってみた。
一つの日付に対して見開き1ページが割り当てられており、10行で10年分の出来事を一つのページに書き込めるという代物である。 出来事といっても欄の大きさの都合上そこまで多くのことを書くことはできないわけだが、当日あったことと何を思ったかくらいを書くことができる。
何か面白いフォーマットを作って書いてもよかったのかもしれないが、思いつかなかったので毎日の天気から書き始めることにした。 僕はバンド名に「ハレ」を入れるくらい晴れが好きである。(というより、雨が苦手である。)
4月始まりの10年メモなので、やっと15日分くらいが終わったわけだが、このノートが埋まりきるまでには今まで記録した240倍の日常を過ごし、書くことになる。 加えて、240倍の日常が経過した後の途方もない未来のことを思うと、目の奥がズーンとなるような、ちょっとした恐怖感に襲われる。 楽しみな気持ちもないわけではないが、ここの割合が比較的ネガティブ寄りなのがいかにも自分らしいなと笑ってしまう。
話は変わって、ここ数日、風邪をひいて咳が止まらなくなっている。 自分のがそれかはわからないが、百日咳という流行病が蔓延しているらしい。
咳は一見クリティカルなダメージを与えないふりをして近づいてくるくせに、じわじわと身体を蝕んでくるところが厄介だ。 本来は有害なものを体外に排出するための機能であるからして、拒絶するのもな…とか思っているとすぐに悪化して、 夜眠れなくなったり、咳のしすぎで戻しそうになったりしてしまう。睡眠と栄養という、
百日も咳が続いたら、きっと疲れ果ててしまうだろうな。治った日のことは絶対に10年メモに刻むことだろう。
咳が悪化すると、同じく咳で苦しんでいた友人を思い出して可哀想な気持ちになる。 当人も咳のしすぎで吐いてしまったと言っていた。つらそうな友人を前に、飴を渡すことくらいしかできずワタワタしてしまった。 自分に起こったことがあまりないつらさに対して、僕はあまりにも無力だった。
すっかり連絡も取らなくなってしまったけど、飴を渡す以外のことができたら、今もまだ関係性は続いてたのだろうか。未来は変わらなかったのだろうか。 またご飯でも一緒に食べた日には、それもきっと10年メモに書くことだろう。
主観的だけど普遍性を持つ言葉選びを目指す
神田伯山先生は松之丞時代から何度か講釈を聞きに行っており、当時からとんでもなく面白かった。 録音が音源化もされているが、金棒お鉄と天明白浪伝の首無し事件を生で観ていたことはずっと自慢していきたい。 惜しむらくは当時サインをもらっておかなかったことである…が、今更後悔してももう遅い。
まあ別にここで古参アピールをする意味もないのだが、とにもかくにも、少し前から追いかけている存在ではあるのだ。
かくして、上で紹介した本を手に取ったわけだが、これがまたとんでもなく面白かった。 内容としては伯山先生が各ジャンルの名プレイヤーと対談していくわけだが、名フレーズがどんどん飛び出してくる。
中でも個人的に一番刺さったのが北方謙三さんのこの一節。
(衰えたなと思う瞬間について)「言葉の選択。悲しいほど粗雑に言葉を扱うんです。(部屋の隅のカバンを指差しながら)例えばそこに赤いカバンがあるでしょ。その「赤い」を表現するとき、「美しい赤」は誰でもわかる。「きれいな赤」もそこそこわかる。ところが、これを「いい赤」と書く。完全に主観です。矛盾しているけど、「いい赤」と主観的に書いて、そこに普遍性を持たせる。これが小説の言葉なんです。そういった言葉選びと格闘し続けているのならば、「いい赤」が出てくるんです。でも衰えてしまうと、それが出てこなくなる」
自分も歌詞をかき、曲を作る人間として、主観的かつ普遍性を持つ言葉選びがいかに難しいかに向き合っていたので、同じレベル感では全然ないにせよこの一節に打ちのめされた。
歌詞をかいていると、ありきたりな表現を使いたくなる時がある。その方が伝わりやすいと思っているからだ。 「退廃的な気分になった時に、アルコールに逃げる」と、わかりやすく自暴自棄を表現できる。 「プールサイドで、泳ぐあなたを横目に観ていた」のであれば、青春時代の甘酸っぱい(これ自体がありきたりかもしれないが)恋心を表現できる。 これらは、たしかに普遍的かもしれない。だが、きっと主観的な要素が足りないのだ。
渋滞絶景という曲を作ったことがある。
僕は普段車を運転しないが、ドライブがモチーフとして素敵だと思ったからこの曲を作った。 ただ、そのままだと陳腐で普遍的すぎると思ったので、一見ネガティブな"渋滞"をポジティブなワードである"絶景"と繋げ、ペーパードライバーによるドライブソングとして作ってみた。
日常的に車を運転している方からすると"渋滞"は厭わしいものかもしれない。 が、稀にしか運転しない僕からすると、"渋滞"もまた楽し、なのである。これは普遍的かつ主観的なのかもしれない、と自己分析している。
もっとアンテナを張らないといけないし、磨かないといけないのはその通りだが、創作をする面白みがここにあるのだ。
表現の情報量は少ない方が良い時もある
普段は自分で進むスピードをコントロールできる漫画を読むことが多く、アニメはあまり見ないのだが、珍しくダンダダンはアニメも見ている。 漫画でも、かなり緻密に描かれた表現で動きがあるように感じていたので、アニメだとどうなるのか気になったのである。
当然だが、アニメだと音もある。これがダンダダンだと良い。 音楽は牛尾憲輔氏。agraphも好きだったが、劇伴になるとこれがまた良い。
話は少し変わるが、ドラゴンクエストⅢがリメイクされて最近発売されたらしい。 少し動画で見ただけだが、なるほど確かに、昔ファミコンでやったドラクエとはまるで違った様相で、豪華な感じ。
ただ、このリメイクが賛否両論らしい。 同じ意見なのかはわからないが、僕も昔のドット絵の方が好きかなとは思った。
文脈こそ忘れてしまったが、昔読んだ「謎床」という本に、ドラクエとファイナルファンタジーの比較が書かれていて、それが面白かった。 https://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E5%BA%8A-%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%8C%E7%99%BA%E9%85%B5%E3%81%99%E3%82%8B%E7%B7%A8%E9%9B%86%E8%A1%93-%E6%9D%BE%E5%B2%A1-%E6%AD%A3%E5%89%9B/dp/4794969651
できるだけリアルな世界観で、等身も現実に近い形で描かれるファイナルファンタジーと、デフォルメされたキャラクターイメージが、ドット絵で表現された世界を冒険するドラゴンクエスト。 ドット絵のドラゴンクエストの方が想像で補完される分、没入感が強いというのだ。
そういえば、最近なんとなく電子書籍のカラー版で買ってみた「幽遊白書」も似た現象が僕の脳内では起きていたように思う。 過去に白黒の書籍版で読んでいた時に比べ、着色された電子版はなんだか逆に物足りないのだ。
きっと、脳内で僕は、色だけでなく、幽助の身のこなしや鞍馬の植物の実り方を、補完していたのである。
出し手側の情報量が少ない方が、受け手側で生成される情報量が多いこともある、という興味深い体験だった。
余談だが、僕は漫画を読むのがめちゃくちゃ早い(当社比)。 ただし、何周もする。意識しているわけではないが、1周目はほぼ文字しか読んでおらず、ストーリーを追っているだけになっていることが多い。 絵の細かいところは2-3周目くらいでやっと見るので、伏線とかに気づくのが遅い。気づかないことも多い。
でも良いんだ、何周もして読み込むのが好きだから。たぶん「フラジャイル」は5周くらいしてるし、「ワールドトリガー」とかは8周くらいしてる。
唯一読み返せなかったのは「青野くんに触りたいから死にたい」だけ。 ああいう、明確に怖い表現が少ないのに怖い、という演出に僕は弱いのだ。 救いがなくて、登場人物が少しずつみんな狂気的なのが苦手なのだ。 でも、面白いから一回は読む。もうすぐ完結だしね。
さいきん
少し日々に余裕が出てきたので、備忘録程度に日々やっていることや感じたことを書き出してみる。
最後の記事は3年以上前。 この間にもいろいろなことがあったし、下書きにいくつか残っている文章もあるが、まあ書ききれなかったということは大して重要ではないのだと思う。 作曲していてもそう思うし、どこかのタイミングで完成まで辿り着けたらそれはそういうものなのだ。
免疫力が下がった(ので対策した)
先月、今月と立て続けに大きく体調を崩した。 元々風邪はあまり引かない方だったのに、COVID-19(確定)とマイコプラズマ(たぶん)に立て続けに罹った。
乾燥してきているので加湿器を引っ張り出してきて、ここ数日は雨の日以外は常時稼働させるようにしている。
歯磨きの時にフロスをした方が良いと聞いたので、毎日するようになった。 本当は歯磨きの前にしないとゴミとか雑菌が口の中に残っちゃうのでダメらしい。 論理的にはわかるがなんとなくルーティンが変えられなくて歯磨きの後にフロスを通している。その後にうがいはするしいいかなと思って。
免疫力高める系のドリンクを飲み始めた。 腸内環境を整えた方が良さそうだなと思って、これ。機能性表示食品というラベルに弱い。
睡眠の質にも言及されているけど、それはよくわからない。尿意で起きなくなった気はするけど、変な(というか喧嘩とか、喧嘩の仲裁とかバイオレンスな)夢を見るのは続いている。
それはそうと、新型コロナはもはや"新型"じゃないよね、という話を聞いてからなんて呼べば良いかわからなくなっている。 これだからファイル名にoldとかnewとかつけるのはやめろと口酸っぱく言っていたのに…
サイドプロジェクトとしてやっていた技術書の翻訳が落ち着きつつある
(他人の)誤字脱字に気づくのは元々得意な方だと思っていたが、膨大な量の文章だとさすがに漏れがあったのと、「関わる」と「かかわる」とか、同じ言葉の表記揺れに大して僕の目はザルだということを知った。
執筆ではなく翻訳だが、それでもいろんなことを調べながらやる必要があったし、とても勉強になった。 また、その本への反応を見ると期待が大きくてドキドキする。世に出して恥ずかしくないクオリティまで引き上げたつもりではあるが、決して安くない本だし、わかりにくいとかのレビューを見たら苦しい気持ちになってしまうかもしれない。
日本ではまだあまり情報がない領域の技術書なので、その情報流通に貢献できたことも純粋に嬉しい。 大変だったけど、また機会があったらやっていきたい。
髪型を変えた
色気というか貫禄というか、そういうものが欲しくて髪型を変えてみた。 ざっくり言うと前髪を分けただけだが、雰囲気は結構変わったようで久々に会う友人に「〇〇の顔を初めて見た気がする」と言われた。これはちょっと意味が違うか?
髪型を変えるのは、気分転換としてとても良い。 髪型か靴を変えると、着たい服が変わるのがまた良い。お金はかかるが、自分の新しい面が出るように感じる。
作業デスクの周りに吸音材をつけた
前々から、自分の声とかタイピング音が変に反響するのが気になっていた。 Amazonかどこかで買った薄い吸音材を壁に貼ってみていたが、敷き詰めないと効果はないらしく(薄かったので敷き詰めても効果があるかはわからないが)、体感としてもほぼ効果はなかった。
が、最近、安定と信頼のサウンドハウスでこんな商品を見つけた。
https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/334727/
2.5cmなのでそこそこ分厚く、グラスウール製。安いけど良さそうなのでまずは4枚買ってみた。 雑にキーボードの前に置いただけでも、なんとなく高音域の反響音が減った気がしたので2枚買い足して、壁に貼ってみた。 モニターの左右に2枚、角に1枚、自分の背中側に2枚。1枚はどこに貼るか決めかねているが、予備。 なんとなく良い気がする。部屋を自分でカスタム感もあって楽しい。
接着剤でガチガチにつけた方が良いのだけど、取り返しがつかなくなるのが嫌で、両面テープで貼ってみたが数日たった今のところ問題なさそう。 本来壁紙に貼ってはいけないテープっぽいので、いつか壁紙ごと剥がれてしまうかもしれないけど、そうなったらまた考えようと思う。 www.amazon.co.jp
おわり
エッセイを立て続けに読んだことに影響されて書いてみたけど、自分の文章はどうやっても自分の文章にしかならない。 僕はきっと、特別なあなたに反応してもらうために文章を書くのだ。
適切な制約を選ぶセンスが問われているのではないか、という話
最近、短歌にハマっている。
と言っても詠むまでにはまだ到達していないのだが、歌人の皆様の目というか、現実を切り取る切り口には本当に感動するばかり。
中でもお気に入りは木下龍也さんで、そこから徐々に拡げていっている最中である。楽しい。
この一冊が特におすすめ。きっと創作活動の中で何度も読み返すと思う。
作曲も再開した。以前作っていた曲の再編集もあれば、完全新作もある。
上の本に影響されて、1日1テーマ、曲になりそうなテーマを見つけるようにしていて、やっと100件に到達しようとしている。僕はテーマを先に決めて、そこから情報を追加したりストーリーを足して歌詞にしていくスタイル。
一方で、困ることもある。最近の作曲活動には選択肢が多すぎるのだ。
例えばアレンジに使える楽器の種類。 ノートパソコン一台あれば、ソフトウェア音源で世界のメジャーな楽器はほとんど打ち込める。
足さないと物足りないことも多いけど、足せば足すほど良いってもんでもない。もう、潔く5人組バンドの編成で出せる音だけでアレンジを考えたくなる。
星野源さんの新曲「創造」は本当にすごい。
カオスになりかねない量の要素を詰め込んで、ギリギリのラインでポップにまとめている。似たことをしていた存在で清竜人というアーティストもいるが、僕はどちらも大好きだ。
何かを決めることそれ自体より、決め方の決め方がまず難しいという現象は、仕事でもしょっちゅう起こる。データ基盤として何のツールを選ぶかの議論は、決め方を決めるところから議論が始まる。データを集め、蓄積し、集計する。それだけでも求められる要件は膨大な量になる。その要件を整理した上でじゃないと、大きな決断はできない。
(一方でここをある程度エイヤで決めて前に進んでいく力も必要だなと感じている最近である)
思えば、短歌も57577という字数の制約がある。だからこそ、一つ一つの言葉に乗せる情報と責任が大きくなり面白いのではないか。僕がかく歌詞と比べても、一文字単位の重みが違うように感じる。
こうなってくると、選択肢が溢れる社会では適切に自分から制約を選ぶことが大切なのではないかと思う。それは譲れない要素でも良いし、諦めたことでも良い。ただし、適切に制約を選べないと、多分決断を誤る。この敢えて選択肢を狭めるための制約を選ぶセンスってどうやったら身に付くものなんだ。誰か教えて欲しい。
バンドの曲作りにMVVを設定しようと思う
緊急事態宣言が明けて
丸二ヶ月、在宅で勤務する日々が続いた。他人とオフラインで関わることもほとんどなくなったが、それでも日常は前に記事で書いた通り、それほど変わらずに過ぎていった。
バンド活動ができない
もともと活動的な人間ではなかったが、バンドだけはしみじみ続けていた。6月ごろにライブできたら良いねと去年の夏頃?に組んだバンドだった。数曲がやっと形になってきたところで、コロナ禍に突入した。
当初は落ち着いたらまたみんなでスタジオに入って、曲を作って、ライブをやろうと思っていたが、事態が進むにつれてそれも難しそうだという状況に気づいた。完全に終息するのがだいぶ先になりそうなこと、ライブハウスの経営が困窮していて、ライブをやろうにも場所がなくなりそうなことが一気に押し寄せてきた。
時間が経ったら全てが元通りになることを期待していたけど、前提を変えて考える必要があると思った。バンドメンバーとZoom会議(という名目の飲み会)をした結果、発信したい想いを優先してDTM向きの曲を一曲DTMで仕上げてみようということになった。DTMもほとんど経験がなければ全員在宅で集まることもできない。でも、やってみないとわからないことがあるはず、という判断だった。
"良い"とは何かがわからない問題
メンバーが真面目なこともあって、DTMでの楽曲制作は、実際にやってみると思ったよりスムーズに進んだ。iZotopeのStayHomeキャンペーン*1で装備もいきなり強いものが手に入ったことにも助けられた。が、ミックスとかマスタリングとか、今まで全く考えたこともなかったテーマにぶつかり一気にスピードが落ちた。何のパラメータがあるのかの理解が浅く、一つ調整するともう一つが気に食わない感じになって、それを繰り返した結果何が良くて何が良くないのかがわからなくなってくる。前のものに戻した方が良いのではないかとすら思う。
そうだ、MVVを作ろう
曲作りでも同じことが起こる。それも、頻繁に。
こっちのリズムにこういうギターを載せた方が良いのではないか、このパートは2倍の長さにした方が良いのではないか、議論を重ねることで良くなっていくが、確かに良くなってはいくのだが、ビシッと決めるのが難しい時もある。一応リーダーをやってはいるが、僕は自分の意見に自信があるタイプではない。決めることには勇気がいるのだ。
一貫した判断基準が欲しいと思った。感性の世界で何かを作る上での基準。時間が経って振り返っても、その判断の根拠として立ち戻れる基準。
ちょうど本業で中長期の戦略を考えるプロジェクトに参加していた。MVVという言葉の重要さを肌で感じ始めたときだった。規模も目的も全く違えど、バンドも同じ時間を共有して何かを形作る複数人の"組織"じゃないかと思った。そうだ、バンドでもMVVを作ろう。
まずはMissionから?
一般的に、MVVは以下のように定義される。
MVVを策定する際、通常Missionから決めていくのが良いはず。そりゃそうだ、上位概念だもんな。と思いつつ、趣味でやっているバンドに社会的な存在意義を打ち立てるのもおかしな話なので、Visionから考えてみることにした。
- Vision : 自分たちが良いと思う音楽をやりたいようにやって、結果的にそれを良いと思ってくれる人たちがいる姿
次にValue。個人的にはここが一番大事で、一番難しい。今までにしてきた決定を振り返り、言語化してみた。
本当は一言でまとめるのが良さそうだが、文章になってしまった。Idea DrivenとかAssociation Focusとか、英語にしても良いが意味が伝わらなくなりそうだし自分の心の拠り所にするだけなのでいったんこれで良しとした。
共有認識にするか否か
さらっと話したことはあったかもしれないが、バンドメンバーに正式に伝えたわけではない。直接会ってゆっくり話ができるときが来たら、MVVの話もしてみようと思う。きっと面白がって、良い感じに批判してくれるはず。そういう関係性を期待して、僕は今のメンバーを集めたのである。
*1:【無料】iZotope Ozone 9 Elements が期間限定で無償配布中!制作全般含め、このブログには本当に助けられました
近況
世の中で言われているほどは僕の日常は変わっていないし、落ち込んでいるわけでもない。気分に波がないと自分は曲も歌詞もブログも書く気にならないということが気づいた。
noteデビューを果たしたのはよかったけど二の手が続かないし、WIPだった記事は書き上げられなくていったん下書きに戻した。だいたいいつもそんな感じなんだけど、まあいいかなと思っている。それをわかっているから続かないとわかっていてもとりあえず手を出してみることにしている節すらある。
在宅勤務が当分続きそうだから、作業環境をよくしようと思ってMOFTを買った。とても良い。ノイズキャンセリングイヤホンも狙っているがワイヤレスだと良さそうなのは全部高いから迷っている。学生時代に買ったBOSEのQC25が大活躍しているし、使用頻度が高いものにはお金をかけて良いと思っているけどなかなかそれも踏み出せない。
同僚に似顔絵イラストを書いてもらった。自分がどう他人から見られているかわかる、とても良い体験だった。毛量が多いのはともかく、笑い方が悪戯っぽいのは自覚してなかった。
「休日にやろうと思っていたことは半分しかできない」というツイートを見た。「旅行に持って行った本は4分の1しか読まない」という話を聞いた。僕はその消化率すら達成しない気がするけど、自分のキャパシティをいつも上に見積もりすぎる節があるらしい。
曲を作って、ライブをやりたいと思っていたスケジュールはどうやら延期せざるを得ない。DTMを学ぶ機会だと捉えることもできるけど、どうしてもそういう方向性に自分を磨くことができない。
僕は自分に甘いけど、他人にも割と甘いから別に良いよね。良くないのかな。
