食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

混ぜるな危険

混ぜるな危険、って実際に混ぜたらどうなるのか気になっていた時期がありました。さすがにやってみたりはしなかったですが。

コレと混ぜたら危険、とかではなく、何でも混ぜたら危険というのが抽象的な警告文でとてもモヤモヤしていたのを覚えています。反応する対象がたくさんあるって話なんですかね。

 

ずっと前にやっていた白夜行というドラマで、(たしか)山田孝之演じる主人公が、(たしか)武田鉄矢演じる警官を殺そうとする下りがあって。トイレに罠を仕掛けるんですが、結局殺せないんですよね。殺すマインド100パーセントだったわけでもなく、逮捕されて過去の罪を清算したいという想いと葛藤しながら辿り着いたから完璧な罠に出来なかったんだったと思います。

突然なんの話をし始めたかというと、あの時に仕掛けていた罠が、たしかいくつかの薬品を混ぜて出来たものだったような気がして。さすがにあんな、一瞬吸っただけで視界がボヤけるほど強力なもの出来るのかは疑問でしたが、"混ぜるな危険"という文言を見るといつもあのシーンを思い出します。

 

ダイバーシティを考えていると、多数派を"普通"として、少数派をそこに混ぜ込むような考え方をしてしまうことがよくあります。一つ一つのイシューに対して、特別視せずに同じ価値観で接することが必要な時ももちろんあります。が、何でもかんでも同じルールや価値観で過ごすべきではないこともあると感じるようになりました。

 

名前的な要因かもしれませんが、特別支援学級とかはその辺りがすごく難しいようで。本人と親御さんの意思を尊重しながら、特別支援学級で過ごすか普通学級で過ごすか決める。例によって白黒つかず、答えなんてないテーマなのですが、モヤモヤのまま書き記すことにしています。

いま時点での僕の考えとしては、本人の選びうる選択肢を増やす、と、イシューごとに切り分けて選択できる仕組みを作る、というのが良いかなと思っています。

複数のイシューが存在する学校生活を一緒くたに語ろうとするとどうしてもアレやコレやしがらみやリスク、不安が出てきてしまうのかなと。

 

僕自身、何かと偏った視点からの"普通"にまとめることが真摯な姿勢だと勘違いしていたなと、今となっては思います。社会的に弱い立場にならざるを得なく、風俗で働くことになった女性が「似た状況の仲間がいる場所は安心する」と仰っているのが印象的で、このテーマを考えるきっかけになりました。

サードプレイスやナナメウエの存在も大事ですが、同じ感性や価値観、体験を共有できる存在も大事。究極的には他者を尊重することが自分を尊重することにつながるんだろうなと思っています。僕が誰のどんな存在になれるか、まだまだ未熟ですが、いろんな経験をしながら向き合っていこうと思います。

 

 

 

 

ダイバーシティの名の下に、あっためた弁当とアイス同じレジ袋に入れたらダメじゃないですか。って例えをどこかに入れようと思っていたのに、使い所を見失ってしまいました。どなたか使いたい方いらっしゃいましたらぜひ使ってあげてください。