食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

サードプレイスとナナメウエ

大好きな漫画「波よ聞いてくれ」の新刊が出た。展開のカオスさと、寝る前に真っ暗な部屋で半分寝落ちながら読んだせいもあって内容がほとんど夢だったんじゃないかと疑ってる。あれは夢か。やったぁもっかい新鮮な気持ちで読める。

 

同時に、天国大魔境が始まって東京喰種が終わった。あとベアゲルターの新刊も出た。沙村先生大好き。

 

複数の作品を同時連載するのって、頭の中どうなってるんだろう。登場人物の性質こそ似通ってるものの、世界観あれだけ違ったら訳分からなくなりそう。

 

ということで、今回は自分の中に複数世界を持つことが素敵だと思う、という話をしようと思います。中途半端に上手いつなぎ。

 

アート×福祉をテーマに大学に行っているわけですが、なぜアートなのか。半期を通じてやっと見えてきたのが、アートの自由度で。

例えば政治やビジネスと表現はかなり切り離されたところにいて、評価へのルールも違う。これってすごい大切なことで。

 

大きく言うと、アートの世界では全員が価値観やルールが違うんですよ多分。ほとんど門外漢なのでとんちんかんなこと言ってるかもしれませんが、テーマや手法による流派はあれど、良いと感じるか悪いと感じるかに一貫した定義なんてないんだと思います。

また、アートは政治的な要素からも基本的には切り離されているので、メディアと違ってそういう動きに縛られ続けることもない。

 

だからこそ、サードプレイスとして、アジールの役割を果たせる可能性があるというのが、僕の理解している範囲でのいったんの結論です。

 

働き始めてから4年が経ち大学に通うことを決めましたが、家とも、会社とも全く違うルールや価値観で動いている世界に触れるのは、とても学ぶことがたくさんあるなと感じます。また、会社で多少うまくいかないことがあっても、心の拠り所になるわけです。こちらのルールに照らしたら、あんなミスは大したことないよな、と。もちろん反省はしなきゃいけないんですが。

 

世界の広さや多様な美しさに触れるために、ぜひとも、普段とは違う文化で進む時間を持つサードプレイスや、そういう価値観を提供してくれるナナメウエの人物がいると良いと思いますし、僕自身も、誰かのそんな存在になれるよう、世界を作れるよう、動いていくことが一つの夢です。