食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

フィジカル(アナログ)

友人の結婚式に参列してきた。内容については僕がどうこう言うものではないが、生花の廃棄が忍びなくて、ほんの少しだけだがサルベージした。僕自身も少しだけその恩恵にあずかることができた。

 

そこで、造花を使うべき、という意見もあると思うが、僕はそう言いたいわけではない。やっぱり人工物と自然物には違う魅力があることくらい、僕にもわかっている。その議論を加速させると、いつかきっと壁が真っ白な会場に、リアルタイムでプロジェクションマッピングして雰囲気が変わり続ける結婚式が出来るはず。あれこれ結構面白いアイデアなのでは?

 

今回は、アナログの魅力について語らせてもらおうと思う。

 

会社に、フィルムカメラを使い写真を撮り、現像まで自分でやる先輩がいる。その先輩曰く、「アナログなものの方が、自分が何をした結果、何がどう変わるのかが理解しやすい」とのこと。確かに数値上でISO感度いじって写真を撮っても、結果はわかるが自分の意思がどういう形で反映されたのかはわかりにくい。なるほどたしかに。

 

授業では、当事者の方と対話している。もっと早くにこういう機会があれば価値観が多少なりとも変わっていたかも、とみんなが言う。教育の場に取り入れるべきだと。

それだったらこの対話の模様をインターネットで配信するのも良いんじゃないか?僕はそうは思わない。

 

フィジカルなコミュニケーションが、重要なんだと思う。効率は悪いがアナログに、リアルタイムでその場の空気を共有しないといけない。

ある意味逃げ場のなく、当事者の方が失礼な発言に一瞬ピリッとした表情一つも見逃さないからこそ、自分も当事者として覚悟を決めることが出来るのだ。

 

聴覚障害を持つ方と、旅行に行くことを約束した女性がいた。そういうことだと、僕は感動した。

 

フィジカルでアナログだからこそ、自分が動いたことが何につながってどういう結果を生むのかわかりやすい。責任の範囲が見えやすいから、思い通りにいかず、面白いのである。

 

何もしないという決断ですら、アナログには多大な負荷がかかる。水に差さねば花はかれ、ケアをしなければ革は乾きひび割れる。逃げようのない、自分の決断の結果でしかない。

良くも悪くも、デジタルは経年変化に強い。強いて言うなら、ハードディスクの劣化でデータが消えるとかだろう。「トラブルはまず物理層を疑え」という先輩の言葉を思い出す。

 

決断の、行動の結果であるアナログなものの変化は、それだけで愛おしいと思いませんかね。ある種思い通りで、ある種予想外。

だから僕は、革小物やドライフラワーなんてものに、どうしようもなく惹かれてしまうのでしょう。

 

あぁまた書きたいテーマが出てきた。予測不可能性の魅力。次回以降に書こう。