食べられる夢を見た

データ分析とデザインのあいだ

出会うことがない

https://blog.tinect.jp/?p=52692

 

上の記事を読んで。コメントしたら初めてスターもらったので嬉しいです。

 

自己肯定感持つのって大変ですよね。全体として、自分自身とか、自分のやっていることを受け入れられているか、納得できてやれているかって話があるので。

 

自己受容・ありのままの自分を受け容れる、ってことなんですが、この前当事者の方と話していて、「"自分は耳が聞こえない"ということを受け容れるまでに時間がかかった」というようなことを仰っていて。すごく陳腐な例えになっちゃいますけど、自分は仕事を覚えるのが遅いとか、歯が痛いのを虫歯として受け止めるとか、いろんな大きさの自己受容をしながら人は過ごしていくしかない訳じゃないですか。

虫歯とかは歯磨き怠ったみたいな話があるのでアレですが、自責にもしきれない、突発的な事故やなんやらで状況が変わったことを受け容れるエネルギーって、ものすごいものがあると思うんですよ。だからといって全て他責やら環境のせいにして周りを攻撃して良いって話じゃないですよもちろん。

 

でも、自己受容っていろんな物事のスタートラインだと感じていて。まずは状況を受け容れた上で、周りに発信することを選んだり、当事者として向き合いルールを変えようとしたり、強みとして活かしたりしていくものかなと。

 

僕が学んでいるダイバーシティについての講義では、あまり普段意識することのないマイノリティの方とお話しする機会が設けられています。

授業で直接お話を伺ったり、対話したりすると、やっぱりどうにか力になってあげたいな、とか、気付かされることが多くあります。もっと早くに、例えば幼少期にこういった機会があればまた違った価値観で成長したり、そもそも日々過ごしている中であまり出会うことがない方もいるな、と思うわけです。

 

出会う機会がないのは、何故なのか。

出会っているのに気付いていない?興味を持つこと自体が失礼?そもそも赤の他人と関わることが少ない?当事者自身もアピールしていない?

原因はひとつじゃないでしょう。ただ、自己受容が出来ていないと、当事者もアピールが出来ず、社会とのあいだに壁を作ってしまう、というのが、この間の授業の学びでした。

 

あくまでも僕のスタンスですが、個人が悪い、と言うつもりはないです。制度的な意味も、文化的な意味も含めて、社会側の構造がそうさせている、と思っています。

 

こんなのは理想論ですが、そんなのわかってますが、誰だって自分が出来ないことにおいては課題の当事者で、出来ることにおいては誰かの支援者であるような、そんな社会になることを僕は楽しみにしています。